藤沢三田会は戦後間もない昭和22年に発足いたしました。今日の隆盛があるのは諸先輩の並々ならぬご努力の積み重ねによるものであり、関係者に対して深く感謝申し上げます。会創立70年にならんとする当会の小史をご一読いただければ幸いです。
1.昭和20年代(西暦(以下略)1947年~1954年) 藤沢三田会の母胎は昭和の初め頃から湘南地方に居住し、東海道線の列車で東京へ通学する塾生がお互いに親睦をはかるために自然発生的に作られた「藤沢以西の塾生の集まり」と云う意味から藤西会と呼ばれたものです。昭和22年と云えば戦後未だ日も浅く、焦土と化した日本全土が精神的混迷と食糧難から来る飢餓地獄で正に混沌たる時代でした。藤沢市が市政を布いたのは昭和15年、当時の藤沢市の人口は9万人でした。
1.昭和20年代(西暦(以下略)1947年~1954年) 藤沢三田会の母胎は昭和の初め頃から湘南地方に居住し、東海道線の列車で東京へ通学する塾生がお互いに親睦をはかるために自然発生的に作られた「藤沢以西の塾生の集まり」と云う意味から藤西会と呼ばれたものです。昭和22年と云えば戦後未だ日も浅く、焦土と化した日本全土が精神的混迷と食糧難から来る飢餓地獄で正に混沌たる時代でした。藤沢市が市政を布いたのは昭和15年、当時の藤沢市の人口は9万人でした。
有志約20名が発起人となり、会長に平尾賛之助君を仰ぎ、会員数約50名、一般年会費100円、幹事役200円で発足しました。何しろ会員数が少なく、資金的にも乏しかったため、行事的なものを実施するのは極めて困難でしたが、先輩の方々から寄付を仰ぎ、23年後半には初めての総会を開きました。運動会、野球大会、映画会、音楽会(藤山一郎君を招いて)等を湘南学園の運動場や講堂を拝借したり、鵠沼海岸の砂浜を利用し、総会は鵠沼藤が谷の三越クラブを利用させていただきました。 当時の行事で珍しいのは「ラジオ体操の会」です。近隣の子供達のために幹事有志が近くの空地や湘南学園の校庭を拝借し、夏休み期間中に早朝実施しました。
また、地域への協力として小田急線鵠沼海岸駅で「無料貸傘運動」も主催しました。然し「貸傘」が返って来ないために1~2年で中止になりました。念願の慶應義塾への復興資金としては、昭和24年に5万円を学校に寄付しました。会員名簿が出来たのは昭和26年からで、2年おき位に発行しました。
藤沢三田会の活動の特徴は当初より会員のみならず、その家族も含めた親睦を重視したものであり、従って当会は家族ぐるみの会と云うことが出来ましょう。
創立前後において忘れられないのは、昭和44年に早くして亡くなられた故五島岩四郎君(昭和22年経済卒)の存在でした。彼は一口で云えば所謂秀才であり、愛校心の固まりのような人物でしたが、本人自身の「僕は慶應気狂いの三田気狂いだ」との発言通り、彼が当会に注がれたエネルギー、当会に対して尽くされた大きな功績は筆舌に尽くし難いものでした。これらの事情が相まって、藤沢三田会は割合すんなりと誕生しました。
2. 昭和30年代(西暦1955年~1964年) 藤沢市が大きく発展したのは昭和35年の高度成長期以後であり、人口の増加も南部を中心に次第に北部に及びました。それに伴い会員数も200~300人へと次第に会らしい体裁を整え、総会も確実に開催されて会場も海浜ホテル、箱根小湧園、交詢社等、後半は鵠沼公民館で行われました。会員名簿は昭和35年から毎年発行となりました。
また、地域への協力として小田急線鵠沼海岸駅で「無料貸傘運動」も主催しました。然し「貸傘」が返って来ないために1~2年で中止になりました。念願の慶應義塾への復興資金としては、昭和24年に5万円を学校に寄付しました。会員名簿が出来たのは昭和26年からで、2年おき位に発行しました。
藤沢三田会の活動の特徴は当初より会員のみならず、その家族も含めた親睦を重視したものであり、従って当会は家族ぐるみの会と云うことが出来ましょう。
創立前後において忘れられないのは、昭和44年に早くして亡くなられた故五島岩四郎君(昭和22年経済卒)の存在でした。彼は一口で云えば所謂秀才であり、愛校心の固まりのような人物でしたが、本人自身の「僕は慶應気狂いの三田気狂いだ」との発言通り、彼が当会に注がれたエネルギー、当会に対して尽くされた大きな功績は筆舌に尽くし難いものでした。これらの事情が相まって、藤沢三田会は割合すんなりと誕生しました。
2. 昭和30年代(西暦1955年~1964年) 藤沢市が大きく発展したのは昭和35年の高度成長期以後であり、人口の増加も南部を中心に次第に北部に及びました。それに伴い会員数も200~300人へと次第に会らしい体裁を整え、総会も確実に開催されて会場も海浜ホテル、箱根小湧園、交詢社等、後半は鵠沼公民館で行われました。会員名簿は昭和35年から毎年発行となりました。
行事としては、当時ブームであったダンスパーテーや流行し始めたゴルフ会等が頻繁に行われました。親睦会としてダークダックス,林家三平、江戸家猫八師匠等を招いての豪華な娯楽会等も開催されました。昭和32年の慶應義塾「100周年記念」に当たり、当会からは6万円を寄付しました。会長は31年に島崎敬夫君、38年に石河幹武君に夫々引継がれました。昭和38年からは鵠沼海岸で夏期地引網大会が行われ、その後毎年開催されました。昭和39年に軍艦見学会なるものが実行され、これは横須賀三田会の主唱による横須賀、鎌倉、逗葉、藤沢等の湘南地区の各地域三田会が合同して横須賀港内の自衛艦2隻に分乗、東京湾内を体験航行しました。参加人数は各地三田会から合計約250人でした。
3.昭和40年代(西暦1965年~1974年) 各種活動の充実
この時代、夏期地引網大会は毎年7月に行われ、年々参加者も増大し、内部的にも次第に充実して行った時代でありました。バス旅行が箱根、伊豆、横須賀方面へ盛んに企画、実施され、工場見学会等も行われました。また、珍しい行事として、慶早両校の舞踏研究会の学生約60名を招いての社交ダンス競技会が開かれ、モダン4種目の華麗なる妙技を披露したこともありました。審査は当時のA級プロダンサー須藤京一氏の単独審査で行われ、塾の舞踏研究会に軍配が上がりました。
昭和45年には工学部が小金井から日吉の矢上台に移転したことに伴い、その建設資金募金を行って20万円を学校に寄付しました。会長は48年に死去された石河幹武君から萱野章次郎君に代わりました。
4.昭和50年代(西暦1975年~1984年)サマーカーニバルと総会・新年懇親会
50年代前半は40年代から引続き、毎年夏期地引網大会が人気で盛大でしたが、次第に魚が獲れなくなり、56年からは中止してサマーカーニバルと名称を変えました。内容も綱引き、宝探し等の一種の運動会形式を取り、毎年7月の最終日 曜日に決めて行われました。サマーカーニバルは評判が頗る良く、年々盛大になりました。抽選会の賞品は先輩、有志の方々からの援助に負うところが大きく、会の財政に大きなプラスになりました。
総会も新年会となり、新年1月20日前後の土曜日に市内の平安閣(現在のカルチャーボンズ)で行われました。この頃から毎年新年会には幹事である斉藤光哉君主宰のハワイアンバンド(シルバーレイ:メンバー全員塾員)の友情出演が行われて会のムードを高め、現在も続いています。また、新年会の抽選会にも諸先輩方からの寄贈賞品が多く、新年会の豪華さに花を添えました。
57年は慶應義塾の創立「125周年記念」の募金を行い、89万円が学校に寄付されました。会長は萱野章次郎君の死去に伴い、安部政寿君が就任。また、この年から毎年藤沢三田会会報が発行されるようになりました。
この時代、夏期地引網大会は毎年7月に行われ、年々参加者も増大し、内部的にも次第に充実して行った時代でありました。バス旅行が箱根、伊豆、横須賀方面へ盛んに企画、実施され、工場見学会等も行われました。また、珍しい行事として、慶早両校の舞踏研究会の学生約60名を招いての社交ダンス競技会が開かれ、モダン4種目の華麗なる妙技を披露したこともありました。審査は当時のA級プロダンサー須藤京一氏の単独審査で行われ、塾の舞踏研究会に軍配が上がりました。
昭和45年には工学部が小金井から日吉の矢上台に移転したことに伴い、その建設資金募金を行って20万円を学校に寄付しました。会長は48年に死去された石河幹武君から萱野章次郎君に代わりました。
4.昭和50年代(西暦1975年~1984年)サマーカーニバルと総会・新年懇親会
50年代前半は40年代から引続き、毎年夏期地引網大会が人気で盛大でしたが、次第に魚が獲れなくなり、56年からは中止してサマーカーニバルと名称を変えました。内容も綱引き、宝探し等の一種の運動会形式を取り、毎年7月の最終日 曜日に決めて行われました。サマーカーニバルは評判が頗る良く、年々盛大になりました。抽選会の賞品は先輩、有志の方々からの援助に負うところが大きく、会の財政に大きなプラスになりました。
総会も新年会となり、新年1月20日前後の土曜日に市内の平安閣(現在のカルチャーボンズ)で行われました。この頃から毎年新年会には幹事である斉藤光哉君主宰のハワイアンバンド(シルバーレイ:メンバー全員塾員)の友情出演が行われて会のムードを高め、現在も続いています。また、新年会の抽選会にも諸先輩方からの寄贈賞品が多く、新年会の豪華さに花を添えました。
57年は慶應義塾の創立「125周年記念」の募金を行い、89万円が学校に寄付されました。会長は萱野章次郎君の死去に伴い、安部政寿君が就任。また、この年から毎年藤沢三田会会報が発行されるようになりました。
5.昭和60年代(西暦1985年~1988年)諸行事の充実とSFC開校
定例行事として、夏は鵠沼海岸の砂浜で繰広げられるサマーカーニバル、冬は新年会と盛大に行われるようになり、新年会には学校から必ず常任理事等の幹部職員 が来会され、両イベントとも藤沢三田会は他から羨まれる存在となりました。行事の際の抽選会賞品が次第に豪華になり、新年会には鈴木彰夫会員の経営するラプラージュ製のデコレーションケーキのお土産付となりました。
なお、この時代には市内遠藤地区に慶應義塾の湘南藤沢キャンパスが開校になり、キャンパス正門付近のメイン道路南西側街路樹の植樹に協力し、「緑の寄付金」として会から学校に706万円(202件)が寄付されました。62年には当会の創立40周年記念品として三色のペナントを制作して新年会出席者全員に配布しました。
6.平成年代(西暦1989年~1997年)部会による親睦活動の発足
新年会(参加者約150~200名) とサマーカーニバル(参加者約400~500人)は年中行事として益々盛大に行われました。新年会の会場は都合により平安閣(現在のカルチャーボンズ)から藤沢グランドホテル (現在のグランドホテル湘南)に変更され、その後平成18年まで藤沢市民会館で行われました。なお、この年代から部会活動が始まり、SFCの見学、遊行寺の「一つ火」への参加、各工場の見学会等が活発に行われ、夫々参加者の親睦を深めています。会長は平成7年に安部政寿君から 秋山曄君にバトンタッチされました。
7.平成10年代(西暦1998年~2006年)会報の復活とアート展発足
平成10年に入り、新年会、サマーカーニバルとも定着化し、抽選会の賞品も次第に豪華になりましたが、反面、会の財政は悪化傾向にありましたので、経済不況の厳しい中ではありましたが、やむを得ず11年ぶりに年会費を4,000円に値上げしました
平成11年は新年会に地元藤沢出身の大学野球部佐藤友亮君(明治中―慶應高校―慶大―西武ライオンズ―平成24年引退) を招いて、激励することになり、後藤監督以下主力選手とともに佐藤選手に出席願いました。野球部選手招待はその後も長く続き、機会があれば新年懇親会に招待しております。
SFCの行事へも積極的に参加することにし、11年の秋祭には紅葉市 (フリーマーケット)に参加し、また12年の秋祭には写真、書、陶芸等同好会員により作品展を行いました。なお、本作品展を機に平成16年より市民ギャラリーで年一回アート展を開催しております。また、永らく中断しておりました「会報」を復活し、第一号を平成13年に発行しました。
サマーカーニバルでは魚が獲れなくなったため昭和56年から中断していました地引網を平成14年に22年ぶりに再開しました。
会長は平成15年に秋山曄君から上田万丈君に代わりました。
8.創立60周年を盛大に挙行(西暦2007年)
平成19年に、当会創立60周年を迎え1月20日にグランドホテル湘南において盛大に祝賀会兼新年懇親会を行いました。当日は第一部、第二部に分け、第一部では松澤成文神奈川県知事 (塾員)に特別記念講演をお願いしました。
60周年記念として会員の作詞、作曲による「藤沢三田会の歌」を制作、会場で披露、記念品として会員全員に男性には三色のネクタイを女性には三色のスカーフを配布しました。 また、慶應義塾150年記念事業に会より100万円を寄付、翌年更に50万円を追加寄付しました。
その他、60周年記念行事として、9月15日に江ノ島ビュータワー内虎丸座でシルバーレイのハワイアン演奏会を開催、11月10日に藤沢市民会館で藤沢市芸術文化振興財団と共催でダークダックスコンサートを、11月13日に同会館で藤沢地区の障害者等を招待して行われた平尾昌晃チャリテーコンサートを後援しました。
9.平成20年以降(2008年~2013年)創立65周年記念行事を挙行奨学金制度の発足
60周年記念事業を終え、平成20年から年会費を10年ぶりに3,000円に戻し、財政の健全化に努めています。同時に会費制度の改定として「長寿会員制度」を設けました。
会長は平成20年に上田万丈君から疋田康雄君に代わりました。
平成20年には、幹事の業務効率化を推進すべく、3委員会(業務推進・広報・運営)を新たに設立、「委員会制度」を発足させました。
会長は平成22年には疋田康雄君から瀧澤邦好君に代わりました。
平成22年から慶弔用の「塾旗」貸出制度を設けて会員の便宜を図るようにしました。
65周年に向けて会員650名体制目標を掲げ、会員の増強のため継続的に諸活動を行っておりましたが、平成22年10月に藤沢市内の未加入者1300名に対してダイレクトメールを発信しました。この結果90名を超える新入会員を迎えることができました。その後継続的に会員の増強運動を実施しております。
平成23年3月11日には未曾有の大地震「東日本大震災」が勃発し、当会では被災者に対して慶應義塾を通じて40万円の義援金の協力をいたしました。また、丁度6か月後の9月11日に挙行された新行事のバーベキュー大会においても会員から義援金もご協力をいただき6万円の寄付を神奈川新聞社にいたしました。
平成24年に創立65周年を迎え、2月4日の新年懇親会は清家塾長をお迎えして盛大に挙行しました。記念品は三菱鉛筆製のボールペンを全会員に配布しました。
また65周年を記念して新たにSFCの学生を対象とした「奨学金制度」を設立し、会からの定期的な資金のほか、会の諸行事のつど寄付金を募ることとしました。新年懇親会の席上では第一回の奨学生(ウクライナからの留学生長嶋モニカさん)の紹介とご挨拶をいただきました。
平成25年は藤沢地区の各大学同窓会の集まりであるSUCの幹事校を務め、9月に総会が開かれ当会会員宮田英夫さんも講師として参加しました。またボランティアとして藤沢市民マラソンの手伝いを毎年行うことにしました。
10.創立70周年記念行事を挙行
会長は平成26年に瀧澤邦好君から岩崎好男君に代わりました。
平成26年(西暦2014年)にはKP会(旧共立薬科大学卒業生の会)から入会受付を開始しました。
SFC未来創造塾創設にあたり50万円を寄付し、奨学金制度は多くの寄付をいただき、3名の奨学生が誕生しました。
部会ではお酒を楽しむ会が活動開始。ホームページがリニューアルしました。
平成27年(西暦2015年)の総会、新年懇親会は、会場を藤沢商工会館ミナパークに移して盛大に開催しました。釣り部会、囲碁部会が新たに発足し、部会数は10となりました。11月時点の会員数が703名となり、700名の大台に乗りました。
平成28年(西暦2016年)4月に発生した熊本地方を中心とする震災に対し、30万円を寄付しました。5月の地引網大会には270名、11月の新入会員歓迎パーティーには70名が参加しました。映画鑑賞部会は活動を休止しましたが、新たに将棋部会が発足しました。
平成29年(西暦2017年)3月、藤沢三田会70周年記念式典、懇親会を青春の想い出深い三田キャンパスで開催し、会員138名が出席しました。式典では、慶應義塾指定寄付奨学金に70万円を寄付しました。古典に学ぶ会とクルージング部会が発足しました。秋のイベントとして、藤沢駅北口のライブハウスでライブコンサート&新入会員歓迎会を行いました。
平成30年(西暦2018年)
会長は岩崎好男君の逝去(平成30年1月)に伴い、第11代会長として河相董君に代わりました。5月のアート展には1,800余名の来場者があり、9月のバーベキュー親睦会には98名、11月のジャズライブコンサート&新入会員歓迎会には49名の参加者がありました。
平成31年、令和元年(西暦2019年)
初めての試みとして、女性会員ランチ会を4月に開催し、女性会員120余名のうち昭和38年卒から平成13年卒にわたる39名が参加しました。前年は悪天候により中止となった恒例の地引網大会を5月に開催し、271名が参加しました。10月のバーベキュー親睦会には81名、11月のアート展には過去最高の2,166名の参加がありました。会報No.37からはホームページにも掲載を開始しました。
令和2年(西暦2020年)
2月の総会、新年懇親会には158名が参加し、盛大に開催されましたが、その後は新型コロナウイルスの影響で、各種行事は中止を余儀なくされ、部会活動も限定されました。
令和3年(西暦2021年)
総会は1月に開催しましたが、新型コロナウイルスの影響で、恒例の新年懇親会は見送りとなりました。全体行事は開催できませんでしたが、屋外、zoom利用等のコロナ対策を講じた上で活動を再開する部会もあります。
新たな動きとして、藤沢三田会のFacebookページを開設しました。
令和4年(西暦2022年)
新型コロナウイルスの影響で、引き続き総会が2月に単独開催されました。藤沢三田会初のZOOMによるオンライン歓迎会&交流会が6月に開催されました。地引網は、コロナの感染状況を鑑み、9月に予定しましたが、悪天候予報により延期、10月に再度計画しましたが、天候不良により中止となりました。アート展は2年ぶりに10月に開催することができました。(来場者数約1000名) 会員を集めてのイベント実施が困難なため、創立75周年を記念して「藤沢三田会」の名前の入ったTシャツ・ポロシャツの作成・配布を企画し、余剰金は奨学金会計に託しました。
令和5年(西暦2023年)
総会・新年懇親会が2月に開催されました。3年ぶりの懇親会は、講演会と共に久しぶりに「若き血」を歌い大いに盛り上がりました。6月には4年ぶりにバーベキュー大会が開催されました。SFCの学生の参加もあり活気に満ちた大会となりました。9月には地引網大会が開催され、SFCの学生にもお手伝いいただき、宝探し、パン食い競争、綱引きのアトラクションもあり盛り上がりました。
令和6年(西暦2024年)
総会・新年懇親会が2月に開催されました。第12代会長として辻岡義一君が就任しました。フルバージョンの新年懇親会となり、応援指導部のリードで「若き血」「三色旗のもとに」「慶應讃歌」を歌い大いに盛り上がりました。
※令和6年2月現在の部会は下記の通りです。(順不同)
ウォーキング部会、見学部会、ゴルフ部会、コーラス部会、俳句部会、釣り部会、
囲碁部会、古典に学ぶ会、将棋部会、ウェルビーイング・ヨーガ部会、
グルメ部会(休部中)、そのほかアート展への新規参加を募集しております。
定例行事として、夏は鵠沼海岸の砂浜で繰広げられるサマーカーニバル、冬は新年会と盛大に行われるようになり、新年会には学校から必ず常任理事等の幹部職員 が来会され、両イベントとも藤沢三田会は他から羨まれる存在となりました。行事の際の抽選会賞品が次第に豪華になり、新年会には鈴木彰夫会員の経営するラプラージュ製のデコレーションケーキのお土産付となりました。
なお、この時代には市内遠藤地区に慶應義塾の湘南藤沢キャンパスが開校になり、キャンパス正門付近のメイン道路南西側街路樹の植樹に協力し、「緑の寄付金」として会から学校に706万円(202件)が寄付されました。62年には当会の創立40周年記念品として三色のペナントを制作して新年会出席者全員に配布しました。
6.平成年代(西暦1989年~1997年)部会による親睦活動の発足
新年会(参加者約150~200名) とサマーカーニバル(参加者約400~500人)は年中行事として益々盛大に行われました。新年会の会場は都合により平安閣(現在のカルチャーボンズ)から藤沢グランドホテル (現在のグランドホテル湘南)に変更され、その後平成18年まで藤沢市民会館で行われました。なお、この年代から部会活動が始まり、SFCの見学、遊行寺の「一つ火」への参加、各工場の見学会等が活発に行われ、夫々参加者の親睦を深めています。会長は平成7年に安部政寿君から 秋山曄君にバトンタッチされました。
7.平成10年代(西暦1998年~2006年)会報の復活とアート展発足
平成10年に入り、新年会、サマーカーニバルとも定着化し、抽選会の賞品も次第に豪華になりましたが、反面、会の財政は悪化傾向にありましたので、経済不況の厳しい中ではありましたが、やむを得ず11年ぶりに年会費を4,000円に値上げしました
平成11年は新年会に地元藤沢出身の大学野球部佐藤友亮君(明治中―慶應高校―慶大―西武ライオンズ―平成24年引退) を招いて、激励することになり、後藤監督以下主力選手とともに佐藤選手に出席願いました。野球部選手招待はその後も長く続き、機会があれば新年懇親会に招待しております。
SFCの行事へも積極的に参加することにし、11年の秋祭には紅葉市 (フリーマーケット)に参加し、また12年の秋祭には写真、書、陶芸等同好会員により作品展を行いました。なお、本作品展を機に平成16年より市民ギャラリーで年一回アート展を開催しております。また、永らく中断しておりました「会報」を復活し、第一号を平成13年に発行しました。
サマーカーニバルでは魚が獲れなくなったため昭和56年から中断していました地引網を平成14年に22年ぶりに再開しました。
会長は平成15年に秋山曄君から上田万丈君に代わりました。
8.創立60周年を盛大に挙行(西暦2007年)
平成19年に、当会創立60周年を迎え1月20日にグランドホテル湘南において盛大に祝賀会兼新年懇親会を行いました。当日は第一部、第二部に分け、第一部では松澤成文神奈川県知事 (塾員)に特別記念講演をお願いしました。
60周年記念として会員の作詞、作曲による「藤沢三田会の歌」を制作、会場で披露、記念品として会員全員に男性には三色のネクタイを女性には三色のスカーフを配布しました。 また、慶應義塾150年記念事業に会より100万円を寄付、翌年更に50万円を追加寄付しました。
その他、60周年記念行事として、9月15日に江ノ島ビュータワー内虎丸座でシルバーレイのハワイアン演奏会を開催、11月10日に藤沢市民会館で藤沢市芸術文化振興財団と共催でダークダックスコンサートを、11月13日に同会館で藤沢地区の障害者等を招待して行われた平尾昌晃チャリテーコンサートを後援しました。
9.平成20年以降(2008年~2013年)創立65周年記念行事を挙行奨学金制度の発足
60周年記念事業を終え、平成20年から年会費を10年ぶりに3,000円に戻し、財政の健全化に努めています。同時に会費制度の改定として「長寿会員制度」を設けました。
会長は平成20年に上田万丈君から疋田康雄君に代わりました。
平成20年には、幹事の業務効率化を推進すべく、3委員会(業務推進・広報・運営)を新たに設立、「委員会制度」を発足させました。
会長は平成22年には疋田康雄君から瀧澤邦好君に代わりました。
平成22年から慶弔用の「塾旗」貸出制度を設けて会員の便宜を図るようにしました。
65周年に向けて会員650名体制目標を掲げ、会員の増強のため継続的に諸活動を行っておりましたが、平成22年10月に藤沢市内の未加入者1300名に対してダイレクトメールを発信しました。この結果90名を超える新入会員を迎えることができました。その後継続的に会員の増強運動を実施しております。
平成23年3月11日には未曾有の大地震「東日本大震災」が勃発し、当会では被災者に対して慶應義塾を通じて40万円の義援金の協力をいたしました。また、丁度6か月後の9月11日に挙行された新行事のバーベキュー大会においても会員から義援金もご協力をいただき6万円の寄付を神奈川新聞社にいたしました。
平成24年に創立65周年を迎え、2月4日の新年懇親会は清家塾長をお迎えして盛大に挙行しました。記念品は三菱鉛筆製のボールペンを全会員に配布しました。
また65周年を記念して新たにSFCの学生を対象とした「奨学金制度」を設立し、会からの定期的な資金のほか、会の諸行事のつど寄付金を募ることとしました。新年懇親会の席上では第一回の奨学生(ウクライナからの留学生長嶋モニカさん)の紹介とご挨拶をいただきました。
平成25年は藤沢地区の各大学同窓会の集まりであるSUCの幹事校を務め、9月に総会が開かれ当会会員宮田英夫さんも講師として参加しました。またボランティアとして藤沢市民マラソンの手伝いを毎年行うことにしました。
10.創立70周年記念行事を挙行
会長は平成26年に瀧澤邦好君から岩崎好男君に代わりました。
平成26年(西暦2014年)にはKP会(旧共立薬科大学卒業生の会)から入会受付を開始しました。
SFC未来創造塾創設にあたり50万円を寄付し、奨学金制度は多くの寄付をいただき、3名の奨学生が誕生しました。
部会ではお酒を楽しむ会が活動開始。ホームページがリニューアルしました。
平成27年(西暦2015年)の総会、新年懇親会は、会場を藤沢商工会館ミナパークに移して盛大に開催しました。釣り部会、囲碁部会が新たに発足し、部会数は10となりました。11月時点の会員数が703名となり、700名の大台に乗りました。
平成28年(西暦2016年)4月に発生した熊本地方を中心とする震災に対し、30万円を寄付しました。5月の地引網大会には270名、11月の新入会員歓迎パーティーには70名が参加しました。映画鑑賞部会は活動を休止しましたが、新たに将棋部会が発足しました。
平成29年(西暦2017年)3月、藤沢三田会70周年記念式典、懇親会を青春の想い出深い三田キャンパスで開催し、会員138名が出席しました。式典では、慶應義塾指定寄付奨学金に70万円を寄付しました。古典に学ぶ会とクルージング部会が発足しました。秋のイベントとして、藤沢駅北口のライブハウスでライブコンサート&新入会員歓迎会を行いました。
平成30年(西暦2018年)
会長は岩崎好男君の逝去(平成30年1月)に伴い、第11代会長として河相董君に代わりました。5月のアート展には1,800余名の来場者があり、9月のバーベキュー親睦会には98名、11月のジャズライブコンサート&新入会員歓迎会には49名の参加者がありました。
平成31年、令和元年(西暦2019年)
初めての試みとして、女性会員ランチ会を4月に開催し、女性会員120余名のうち昭和38年卒から平成13年卒にわたる39名が参加しました。前年は悪天候により中止となった恒例の地引網大会を5月に開催し、271名が参加しました。10月のバーベキュー親睦会には81名、11月のアート展には過去最高の2,166名の参加がありました。会報No.37からはホームページにも掲載を開始しました。
令和2年(西暦2020年)
2月の総会、新年懇親会には158名が参加し、盛大に開催されましたが、その後は新型コロナウイルスの影響で、各種行事は中止を余儀なくされ、部会活動も限定されました。
令和3年(西暦2021年)
総会は1月に開催しましたが、新型コロナウイルスの影響で、恒例の新年懇親会は見送りとなりました。全体行事は開催できませんでしたが、屋外、zoom利用等のコロナ対策を講じた上で活動を再開する部会もあります。
新たな動きとして、藤沢三田会のFacebookページを開設しました。
令和4年(西暦2022年)
新型コロナウイルスの影響で、引き続き総会が2月に単独開催されました。藤沢三田会初のZOOMによるオンライン歓迎会&交流会が6月に開催されました。地引網は、コロナの感染状況を鑑み、9月に予定しましたが、悪天候予報により延期、10月に再度計画しましたが、天候不良により中止となりました。アート展は2年ぶりに10月に開催することができました。(来場者数約1000名) 会員を集めてのイベント実施が困難なため、創立75周年を記念して「藤沢三田会」の名前の入ったTシャツ・ポロシャツの作成・配布を企画し、余剰金は奨学金会計に託しました。
令和5年(西暦2023年)
総会・新年懇親会が2月に開催されました。3年ぶりの懇親会は、講演会と共に久しぶりに「若き血」を歌い大いに盛り上がりました。6月には4年ぶりにバーベキュー大会が開催されました。SFCの学生の参加もあり活気に満ちた大会となりました。9月には地引網大会が開催され、SFCの学生にもお手伝いいただき、宝探し、パン食い競争、綱引きのアトラクションもあり盛り上がりました。
令和6年(西暦2024年)
総会・新年懇親会が2月に開催されました。第12代会長として辻岡義一君が就任しました。フルバージョンの新年懇親会となり、応援指導部のリードで「若き血」「三色旗のもとに」「慶應讃歌」を歌い大いに盛り上がりました。
※令和6年2月現在の部会は下記の通りです。(順不同)
ウォーキング部会、見学部会、ゴルフ部会、コーラス部会、俳句部会、釣り部会、
囲碁部会、古典に学ぶ会、将棋部会、ウェルビーイング・ヨーガ部会、
グルメ部会(休部中)、そのほかアート展への新規参加を募集しております。