実施日: 7月5日(水)
行程: 鎌倉駅東口(京急バス金沢八景行)→ 朝比奈 → 朝比奈切通 → 光蝕寺 → 報国寺 → 田楽辻子のみち → 鎌倉駅東口近郊(8km)
参加者(敬称略): 甘利(匡)大野 上領 小玉 小林 酒井 杉山 関 高木 槇 槇(家族)三善 亘理 亘理(家族)朝日 新井 新井(家族)計17名
7月のウオーキングは、梅雨の明けない曇り空の中、鎌倉駅東口から金沢八景行きのバスに乗車し、朝比奈で下車後少し足を進めると朝比奈切通への道であることを示す石碑がありました。ここからさらに行くと、右手の斜面には切通を作った人々を慰霊している石仏群がありました。
朝比奈切通は、鎌倉七切通のなかで古道の面影を最も良く残した国指定史跡で鎌倉と六浦を結ぶ切通のため「六浦口」とも呼ばれ、鎌倉の東側の守備の拠点でした。
そして、和田義盛の三男であった朝比奈三郎義秀が一夜で切り開いたという伝説から、この名が付いたとされますが、吾妻鏡には1241年に三代執権北条泰時自らが監督して工事したと記されています。また、鎌倉へ様々な物資、なかでも塩を運ぶための重要な交通路でした。
前日の雨と湧水のため、滑りやすい古道を足を踏みしめ20分ほど進むと、かつて甘酒や大福餅などを売った休憩所としての茶店の跡が見られ、その峠を行き交う当時の人々の思いに浸りました。
そして、さらに行くと登山口・朝比奈峠に到着しました。道標の通り朝比奈切通は右、左は源頼朝が和歌山県熊野三山の御祭神を勧請したといわれる熊野神社で、右手の朝比奈切通へと進みました。やがて左手に、朝比奈切通を一夜にして切り開いたという伝承が残る太刀武勇の猛者「朝比奈三郎義秀」に因んで名付けられた三郎の滝があり、ここで一息つきました。ここから朝比奈切通の岩肌から湧き出る鎌倉五名水の一つである梶原太刀洗水に歩を進めました。梶原太刀洗水は梶原景時が上総介広常を討った後、太刀の血のりをこの湧き水で洗い流したという伝説が残っておりますが、その湧き水が新しい竹筒から流れており、違和感を覚えました。
さらに「見ざる、聞かざる、言わざる」で有名な石でできた三猿を右手に過ぎ、光蝕寺へ。
光蝕寺は時宗の寺院で、弘安元年(1278年)に創建され、開山は作阿上人、開基は一遍上人と伝えられ、本尊には阿弥陀三尊像があり、公開されていませんでした。
今回参加された、藤沢三田会員であり、鎌倉市観光ガイドの大野氏から、その写真を見せていただき、その姿を知ることができました。
光蝕寺の境内に入り、目に付いたのは、この寺の開基である一遍上人の銅像でした。そして本堂の手前にあった塩嘗地蔵は、以前は朝比奈切通を経て鎌倉に入る街道にあったものが、明治30年にここに移されました。
六浦の商人が鎌倉に塩を売りにきた途中、商売繁盛を願って塩を初穂に納めて帰りに立ち寄ると、その塩がなくなっており、お地蔵さまがなめただろうという説明を大野氏から受け、 塩嘗地蔵の由来が分かりました。
最後に竹林で有名な報国寺を訪れ、大野氏から山門の構成の説明を受け、この山門をくぐり抜け美しく整えられた苔むした庭園を鑑賞しました。残念ながら、時間の都合上、竹林を見ることができませんでした。
そして、報国寺を後にし、解散となりました。今回も快く引き受けて下さった大野氏の詳細な観光ガイドを受け、有意義な朝比奈切通ウオーキングを終えることができました。
次回は、9月の田谷の洞窟、大船観音です。(8月はウオーキング部会は休会です。)
9月の部会への皆様の参加をお待ちしております。
ウオーキング部会
朝日 新井